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はじめに
こんにちは、デザイナーの山下です!!
REAZONホールディングスのビジュアルコミュニケーションユニット(VC) でWEBを主体にデザイン制作を担当しています。現在ではWEBデザイン以外にもディレクション業務や、アニメーションデザインのスタッフと連携して動画の素材作成、動画の撮影や新卒の方の研修等にも携わらせていただいています。
そんな私ですが、実は美容業界からデザイン業界へ異業種転職をしました。
社内メンバーからも面白い経歴と言われたので、自己紹介がてら私の経歴をお話しできたらと思います。
この記事では、
「なぜデザイナーになろうと思ったのか」
「異業種から転職したデザイナーの経歴」
などをお話しできたらなと思います。これからデザイナーを目指す人の少しでも参考になれば嬉しいです。
ざっくり経歴
1. 熊本で生まれて、高校生まで熊本で過ごす
2. 東京の美容短期大学へ進学し、表参道の老舗美容室へ入社
3. 2ヶ月で退職し、フィリピンへ留学
4. コロナ禍で帰国し、アルバイトをしながらデジタルハリウッド by LIGへ入学
5. 2社の制作会社を経てレアゾンへ入社
上記の流れをさらに細かく、時系列順にお話しします。
学生時代
・熊本時代
小学生の頃から絵が好きでした。授業で使う教科書は忘れるのに、自由帳は必ず持ち歩く。宿題はしないのに絵は何時間も書いている。ポケモンとフェアリーテイルと神羅万象チョコが大好きでよく絵を描いている。そんな幼少期でした。絵を描くことも好きでしたが、サッカークラブに入っていたり、野球部に入っていたり、スイミングクラブに入っていたり、絵を描くかスポーツをしているかの日々を過ごしていました。
小学生の頃は両親が遅くまで仕事があることもあり、学童に通っていました。そこでは一人黙々とビーズでブレスレットを作ったり、折り紙でしたり、色水を作ったり。はたまた外で木登りをしたり、デュエル・マスターズをしたり。いろいろなことに興味を持って楽しんでいたので、忙しい日々でした。笑
絵を描くことはずっと好きで、中学生になっても細々と続けていました。当時、とあるきっかけから美術科のある高校の前期試験を受験しました。やはり上には上がいる。本気で美術に向き合っている人たちには到底敵わない。そう思い、後期は普通科の進学校を受け、通いました。
(この経験があるからかブルーピリオドが大好きです)
私の高校生時代、スマホの普及によりYoutubeがエンタメの覇権を握りました。その影響から、第二次(?)カリスマ美容師時代が訪れました。たくさんの人を満足させ、かっこよくしていく姿に痺れ、憧れました。美容師とイラストレーターとどちらの方が仕事につながるか。当時の自分なりに真剣に考えた結果、絵で勝負できるほどの腕がないことは自分が一番知っていたので、美容の道に進むことになります。
・東京の美容系短期大学へ進学し就職
当時OCEANTOKYOという美容室に憧れていて、入社するために何度も通いたいと思い、両親と話し合って東京の美容系の短期大学へ進学させてもらうことになりました。
美容はもちろん、着付けや花道、茶道やブライダルなどいろいろな分野を学びました。こう見えて(金髪/眉毛剃り込み/変な服)着物の着付け師の資格やブライダルコーディネーターの資格を持っていたり…笑
さておき、学校に通っているうちに考え方が変わり、表参道の老舗の美容室へ勤めました。
就活では1社に絞り、内定をいただいたのですが、いざ働き始めると私の考えは180度変わりました。私が目指していた美容師になるにはあまりにも運の要素が強すぎる。そう思いたった2ヶ月で退職しました。(理由はいつかお会いした時にもっと詳細にお話しできたらと思います)
ちなみにスタイリストではなかったので、お客さんの髪を切ったことはありません。美容師じゃないじゃん!というクレームは受け付けておりませんので、ご了承ください。
留学時代
・離職後、何かをしないとという思いから留学を決意
美容室を辞めたとき、私の年齢は20歳でした。同級生が22歳まで大学へ通う間、何かインパクトのあることをやらないと埋もれてしまうと考え、留学を決意しました。ちなみに留学を決めた理由は正直強い思いがあったわけではなく、今後英語が話せることが当たり前になり、情報を集める方法も英語が当たり前になる。ので、英語を使えるようになろう。それくらいの気持ちでした。(留学の内容はフィリピンへ半年、オーストラリアへ9ヶ月。フィリピンで英語を学び、オーストラリアで英語を使ってプログラミングを学ぶ予定でした。)
留学へ行くまでは、他の会社でお客さんが持ち込んだ洋服や雑貨などに値付けをして買取をするようなアルバイトに勤めました。
・いざ留学
2020年2月、いざフィリピンへ留学。フィリピンへ渡航する前に、フィリピンの歴史や社会問題などを調べました。東南アジアでしばしば問題視されている社会問題をどうにかできないかと思い、自身でボランティア企画を立ち上げ、実行しました。こちらも詳細に記載すると読み終えれない量になるので、いずれか...。いずれか...。
簡易的にまとめると、無地のTシャツを仕入れ、布用絵の具を持参して現地の学校へ訪れ、オリジナルTシャツを作ってもらう。それを語学学校で販売し、売り上げたお金で筆記用具や机、お菓子などを寄付するという内容です。
子供達の感性って豊かで素敵で、デザインや芸術って良いな。という経験をすることができました。
当時の写真や友人が作ってくれたポスターの写真が迷子なので、のちのちしれっと更新かけておきます...。
・思わぬ形で帰国
2020年、世界的にコロナが大流行し、私もその影響を受け、こちらも半ば強制で2ヶ月で帰国。
今後どうしたものかと、留学前にお世話になっていた職場で再度アルバイトをさせてもらいながらすぐにコロナが治れば再度留学をしようと思っていました。ですがコロナさん全然落ち着いてくれず。
このままだと22歳になってしまう。留学は諦めて就職する道を探そうと考えました。
デザイナーへの道を踏み出す
・WEBデザイナーとの出会い
留学は諦め、次は何をするか。先の見えない中で、バイトをしながら“自分が本当にやりたいこと”と向き合う日々を過ごしました。少しづつ時間をかけて、これまで興味があったことや、留学してする予定だったことは何かをもとに業種を絞り込んでいきました。
・宿題は出さないが、絵は集中して描けた
・一度は美容の道へ進んだが、やはりデザイン関連が好き
・フィリピンのボランティアで、デザインの可能性を感じた
・留学先ではITを学ぶ予定だった
上記の内容から、デザイン関連+IT関連の職業はないかと探したところ、WEBデザイナーに辿り着きました。
・デジタルハリウッド by LIGへの入学
次にみなさんが悩むであろう、独学 vs スクール
私はそれらのいいとこ取りをしようと考え、独学で学べるところまで学び、アウトプットまで作成した上でデジタルハリウッド by LIGへ入学しました。それらのアウトプットを在籍されている先生方にフィードバックをもらい、講義と一緒に応用しながら進めていく。そのやり方で在籍中は学習を続けました。
転職活動
・デジタルハリウッド by LIGを卒業
約半年間、デジタルハリウッド by LIGへ通いました。通っている最中はデザインを学ぶだけでなく、転職活動も並行して行なっていました。(苦労する未来が見えていたので)
当時はWEB業界に絞らず、WantedlyやCINRAなどのサービスを中心に転職活動を行いました。
・1社目の制作会社 "FunTech inc." へ入社
「落ちても死にはしない」という考えのもと、50社くらい応募しました。3社だけお返事をいただき、そのうちクリエイティブに情熱を注いでおり、素敵なアウトプットをされていたFunTechさんにご縁をいただき、入社しました。
WEBデザイナーとして入社し、実務未経験だったのでトレーニングを中心に業務をさせていただきました。やはり業務として取り組むデザインは全く思うようにはいかず...できる限りを精一杯やってきましたが、実力が伴わず半年で退職しました。当時は結構無茶な働き方をしましたが、現在はその経験が生きているなと感じることは多いです。
・2社目の制作会社 "SENSE PORT" へ入社
FunTechでの経験を経たのち、SENSE PORTへ唯一のデザイナーとして入社しました。唯一のデザイナーだったこともあり、ディレクション業務や印刷物、看板の作成など、横断的に様々な業務へ取り組んできました。
こちらの会社で初めてクライアントワークを行い、世の中に私の作成したデザインが世の中へ出ることへの楽しさと、反面責任感が伴う実感を得ました。
1年半、SENSE PORTに勤めているうちに『もっと社会に影響を与える仕事がしたい』と転職を決意しました。
REAZONへ入社
こういった経歴を経て転職活動中にビジュアルコミュニケーションの我らがボス、山口さんに出会い、REAZONへ入社しました。
まとめ
だいぶ長々と私の経歴を書いてしまいましたが、結構グネグネ回り道をして、現職のWEBデザイナーに辿り着きました。
今まで様々な経験をしてきましたが、どれも意味があり良い経験だったなと思います。とりあえずやってみるマインドや、コミュニケーションを大事にしようという姿勢。ふとした時にこういったところで経験は生きているなと感じます。
デザイナーは正直、キラキラしているようでそんなことはありません。ですが、クライアントやステークホルダーと良いものを作り上げていこうともがいて作り上げ、世の中に自分のクリエイティブが広がり、商品やサービスの良さを伝えていけるのはとてもやりがいのある仕事だなと感じます。
現代では、デザイナーになるハードルは低くなっていると思います。迷っているのであれば、一歩踏み出し、そのまま走り続ければいつの間にかデザイナーを胸を張って名乗れるようになるのではないでしょうか?
長くなってしまいましたが、ここまで見てくださりありがとうございました。